2010年2月19日

居合道夢想神傳流- 中山博道

 
中山博道
(文章出處:http://www5.uwants.com/viewthread.php?tid=9293094 ) 


中山博道何許人也?
他是昭和時代的劍聖
也是劍道、居合道、杖道三道範士

中山小時候就顯示出他的聰明才華
他不到十五歲就是當時日本小有名氣的圍棋高手
後來因為身體不好,十七歲開始練習劍道
也因為圍棋的關係結識「神道無念流第六代宗師」根岸信五郎,進而入門

他師父根岸信五郎除了是明治劍道三長者之一外,也是日本近代史上的重要人物
說到「神道無念流」熟悉日本近代史的人就知道,那些齋藤派無念流達人在政治界佔的分量

中山博道與岸根信五郎 感情之深厚 甚至被收為養子
中山因為養父的關係,除了得到很多武術名師的教導,也得到優於他人的晉升機會
中山博道亦憑藉自身天才般的武術才華,很年輕時就在武術界展露頭角

他二十七歲就得到神道無念流免許資格
三十歲以後 就在開始在警視廳、軍校及各官廳等,教授劍道

四十歲時參與武德會制定大日本帝國劍道形
四十二歲繼承岸根成為神道無念流第七代宗師

四十四歲在板垣退助伯爵的引薦下 入門土佐的細川義昌開始他的居合道修行
四十八歲時 得到武徳會總裁宮、劍道範士與居合道範士稱號

五十歲 繼承「細川義昌」成為夢想神傳重信流第十八代宗師
五十五歲 得到武徳會總裁宮、杖道範士稱號
六十六歲 創立林崎抜刀術夢想神傳重信流也就是日後的「夢想神傳流 」

到了昭和時代 是中山博道(五十二歲)人生的輝煌期
特別隨著軍國主義的興起 對於武士道精神的鼓舞
中山博道主導及參與各項大日本武德會在全日本的武道教育

流祖「中山博道」在近代居合道復興有其相當重要地位
甚至有人美其名稱流祖為近代居合道之父 要知道流祖的影響力 就要敘述他在日本昭和當時的政治實力
中山的「有信館本部道場」落成時,親臨祝賀的有大日本陸軍元帥「梨本宮守正王」殿下、 「荒木陸相」、「 鳩山文相」、 「教育廳首長」、「 警察廳首長」....等大小官員,由此可見他的實力,也讓當時已經委靡不振的居合道 得以振興。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中山博道
中山 博道(なかやま はくどう、 1873年明治6年)2月11日 - 1958年昭和33年)12月14日)は石川県金沢市出身の武術家、武道家。神道無念流第7代宗家高野佐三郎とともに近代剣道界の双璧とされる。剣術居合杖術を極め、多くの流派の技を研究し「最後の武芸者」とも呼ばれる。剣道居合道杖道の三道で範士となった唯一の武道家。昭和の剣聖の一人。幼名、於兎吉。別名、根岸資信
剣術は、斎藤理則より山口一刀流を学び目録を授けられた後に上京し、根岸信五郎のもとで神道無念流を修行し皆伝を得た。根岸の養子となり流儀と有信館道場を継承した。
居合は、根岸信五郎から神道無念流の居合も学んでいたが、細川義昌長谷川英信流下村派を、森本免久身長谷川英信流谷村派を学び、中山の解釈や独自の工夫を加えた。中山没後、その形を弟子たちが夢想神伝流という流名で呼んだ。この流派は、同じく長谷川英信流の系統である無双直伝英信流と並んで、居合道の中で最多の門人を擁することになる。
杖術内田良五郎から神道夢想流を学んだ。
また、密かに柔術の技の研究もしていたが、柔術については教授せず門弟にも見せなかったという。ただし、同じ根岸門下であった稲村幸次郎の道場を訪れた際には、中山と稲村で様々な流派の剣術や柔術の技を試しあったという。
槍術も修行しており、管槍を使うと槍術において重要な槍をしごく手の内が身につかないと、管槍を批判している。
植芝盛平などの多くの武道家と交流があった。
形を重視し、日頃から日本剣道形警視流木太刀形、神道無念流の形を打って修練していたという。また、形を打つ際、上級者が打太刀、下級者が仕太刀を取るのが一般的だが、中山は稽古のためには上級者も進んで仕太刀も取るべきだとして、自身も仕太刀を取ることが少なくなかった。だが、中山の弟子達は竹刀での打込稽古を好み、形の重要性に気づかないことが多く、「形無しの弟子ばかりとなった」と中山を嘆かせている。
様々な長さの竹刀を用いて稽古することもあった。特に短い竹刀を用いる技術については、短い竹刀を用いて稽古する一刀正伝無刀流(同流の定寸は32)を研究し、得る所があったという。
中山は身長160cmと小柄だったが体格の不利を克服すべく睡眠時間を4時間に削って修業に明け暮れ、剣聖と謳われるほどの技を会得した。中山は、 剣道は正しく修業した人間にとっては80歳までは完全に相手に対抗でき、若いものには九分九厘破れることはないと断言する。60歳や70歳になって若者に 対抗できなくなったというのは、竹刀に悟りを得なかった修業者の弁解だというのである。
また、大学時代に中山より神道無念流剣術の指導を受けた小西康裕神道自然流空手術開祖)によると、当時、本土に伝わった唐手(空手)を低級な武道と見なす本土の武道家が多い中で、中山は唐手の真価を見抜き「唐手術は素手による剣術である」と評価したという。
中山善道(博道の子)、橋本統陽中倉清羽賀準一中島五郎蔵など多くの門弟を育てた。


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